香川県丸亀市の弁護士・田岡直博と佐藤倫子の法律事務所です。

〒763-0034 香川県丸亀市大手町2丁目4番24号 大手町ビル7階

香川県丸亀市の弁護士ブログ
お城の見える窓から

見通しの説明

 「見通し」の説明ほど,難しいものはない。見通しは,依頼者が支払う対価がそれに見合ったものであるかどうかを判断するために不可欠な情報だ。民事裁判であれば,裁判を起こして勝てるのか負けるのか,勝てたとしていくら回収できるのか。刑事事件であれば,有罪になるのか無罪になるのか,有罪になるとしたら懲役何年になるのか(あるいは,執行猶予が付くのか)が最大の関心事だ。これなくして,弁護士に依頼するかどうかは決められない。そこで,弁護士職務基本規程29条1項は,弁護士は見通しと報酬及び費用を説明しなければならないと規定している。

 見通しとは,どのようなものか。例えば,100万円を知人に貸している場合に,知人を相手に訴訟を起こして,50万円を回収できる可能性が50%あるとすれば,期待値は25万円になる。このような見通しが説明されれば,依頼者は,自分が支払う弁護士費用や実費,労力などを考えて,弁護士に依頼するかどうかを判断すればよい,ということになる。

 しかし,これはあくまで比喩である。現実には,見通しは数値化できるものではない。ひとつとして同じ事件はないから,統計的に見て勝てる可能性が高いからと言って,その事件でも勝てるとは限らない。刑事事件で言えば,有罪率が99%であるからと言って,すべての刑事事件で無罪になる可能性が1%しかない,ということにはならない。医療のように「この手術を受ければ,5年後生存率が○%」というように統計的なデータを示すことは難しい。

 また,依頼を受ける時点では,情報が限られている。依頼者の話がすべて正しければ100%勝てるという場合でも,現実に裁判を起こしてみたら,相手方からそれと異なる証拠が出され敗訴した,という話はよく聞く。弁護士職務基本規程29条1項も「依頼者から得た情報に基づき」としており,見通しの説明に限界があることを認めている(なお,有利な結果を請け負い,又は保証することは,同条2項で禁止されている。したがって,「絶対に勝てる」という説明をする弁護士には要注意である。)。

 ただ,気になるのは,見通しの説明は正しくなされているのか?ということである。私は法テラスの新人弁護士の研修を長く担当してきたが,負ける可能性が高い事件でも,「勝てる可能性がないとは言えない」「やってみる価値はある」という説明をする弁護士が少なくなかった。しかし,「ないとは言えない」とか「価値がある」という説明では,依頼者は,現実にどの程度の可能性があるのか分からないだろう。結果的に敗訴した場合,「聞いていた話と違う」とクレームが出るかもしれない。

 やはり,見通しは,できる限り正確に説明すべきだ。私は,敗訴する可能性が高い事件は,「ほぼ間違いなく負けます」「○○ということが証明できない限り,無理です」とはっきり説明するようにしている。依頼者からすれば,自分の方が不利だと言われるわけだから,いい気はしないだろう。しかし,ここで甘い見通しを説明しても,後でトラブルになるだけだ。

 また,私は,顧問契約等がない限り,全件で,委任契約書と見積書を作成している。委任契約書は弁護士職務基本規程30条で義務づけられているから当然だが,香川の実情を見ると,それすら作成しない弁護士が少なくないようだ。まして,見積書を交付している弁護士がどれほどいるかは分からない。しかし,書面で,見通しと報酬を明らかにしておくことにより,後のトラブルを防ぐことができる。

 残念なのは,弁護士が誤った説明をしているのではないか?という事例が散見されることだ。例えば,執行猶予が確実な事件で,実刑になるリスクを強調し,高額の成功報酬をとるとか,自己破産の事件で,免責不許可のリスクを強調し,高額の成功報酬をとる,というような事例だ。これらは嘘とまでは言えないが,説明の仕方いかんでは依頼者が誤解するおそれが高く,きわめて不誠実な態度だと思う。

(田岡)
| 2014.06.24 Tuesday|コラムcomments(0)|-|

なぜ,調停は時間がかかるのか

 なぜ,調停はこんなに時間がかかるのだろう。例えば,離婚調停の場合,調停を申し立ててから1回目の期日が入るまでに1か月半かかる。たいてい1回目は,申立人と相手方の双方から話を聞くだけだ。そこでさて,2回目の期日を決めましょうとなると,次は更に1か月半先になってしまう。こんな調子で,1か月半おきに期日が指定されるもんだから,いつまで経っても前に進まない。すぐに半年,1年経ってしまう。

 離婚の場合には,調停前置主義といって,まず調停を申し立てなければならないことになっている。早く離婚をしたくても,調停を申し立てないといけない。どんなに結論がはっきりしてる事件でもそうだ。だからこそ,相手方はのらりくらりと引き延ばそうとする。これをされると,申立人は本当に困る。いま生活に困っているんだから,多少譲歩してでも早く支払ってもらいたい,という気持ちになる。結果的に,不本意な解決を強いられる。それが,相手方の狙いなのだ。「裁判の遅延は裁判の拒否に等しい」という言葉があるが,まさに調停の遅延は,裁判の拒否と同じ。正義の否定である。

 もちろん,財産分与や遺産分割のように準備に時間がかかる事件はある。そういう事件は,別だ。しかし,ほとんどの事件では準備は要らない。婚姻費用や養育費の事件なら,給与明細書や源泉徴収票,所得証明書を持って来させるだけだ。そんなものをとるのに,1か月半もかかるはずがない。その気になれば,明日にでも持ってこられるだろう。要するに,単に次回期日が入らないから,1か月半を無駄に過ごしているのだ。

 なぜ,期日が入らないのか。原因ははっきりしている。まず,裁判官と調停委員が忙しい。例えば,丸亀の場合,家事調停は火曜日と金曜日,民事調停は水曜日にしか開かれない。その週がだめなら,1週間先の同じ曜日に伸びてしまう。次に,部屋がない。調停をするには,調停室がいる。どこでもいいから空いている部屋を使えばいいじゃないかと思うが,調停室がふさがっていたら調停は開けない。誰が決めたか知らないが,そういう決まりなのだ。そして,三番目。代理人が忙しい。弁護士はみな数十件は事件を抱えている。この日は出張,この日は別の調停。両方の弁護士が揃って,訟廷日誌とにらめっこ。ほとんど日程調整のために調停を開いているようなものだ。まったく滑稽な風景である。

 こんな調停なら,いっそ民営化してしまったらどうか。平日の曜日限定の9時5時で,人とハコが揃わないから1か月半先にならないと期日が入らないなんて,民間なら考えられない怠慢さだ。そんなサービスは,誰も利用しないだろう。それでも調停が利用されるのは,調停でしかできないことがあるからだ。法律で決まっているからだ。だから,いやいや,仕方なく,やむを得ずに調停を利用しているのだ。誰だって,夜間や休日に期日を開いてもらった方が便利に決まっている。できれば,毎週でも開いてもらいたい。そして,早く解決してもらいたいと願っている。利用者のニーズに応えない制度は廃れる。これまで裁判所はリピーターが少ないことをいいことに,あぐらを掻いてきたのではないか。私たちはもっと利用者の声に応えて,制度を使いやすくするために声を上げていくべきだろう。

(田岡)
| 2014.06.13 Friday|コラムcomments(0)|-|

行政書士の非行と,行政書士会・監督官庁の責任

 5年前に東京都に申し立てた行政書士に対する懲戒処分が,今頃になって,ようやく発令された。
 「業務禁止」という行政書士法が定める中では,もっとも重い処分となった。
 しかし,問題の行政書士は,いまだにホームページを閉鎖しておらず,堂々と広告を出している。

 懲戒請求の理由は,当該行政書士は依頼者から債権回収の依頼を受け,債権譲渡通知を偽造して,債務者から170万円を取り立てながら,依頼者には19万9500円しか渡さず,150万0500円を着服横領した,となっている。
 この事実は,東京地方裁判所の判決でも認定されているから,東京都が認定するのにさほど困難があったとは思えない。

 私は,この事件の記録を平成21年6月に東京都に送り,同年7月には懲戒処分の請求をした。
 ところが,東京都は,何の理由もなく5年間放置した。東京都行政書士会に至っては,私たちには何の権限もないからという理由で,受付すらしなかった。
 当時,私が所属していた事務所には,当該行政書士に対する苦情や被害相談が相次いで寄せられた。それらも東京都には報告したが,同様に放置された。
 
 今回,業務停止処分となったのは当然であるが,果たして,5年もかける必要があったのか。

 私たち「士業」が信頼を得るには,一人一人が真面目に業務に取り組むことはもちろんであるが,同時に,組織として悪質な同業者を排除することが必要である。
 同業者だからと行ってかばい合うのでは,市民の信頼は得られまい。
 まして,監督官庁である東京都が何もしないというのでは,何のための監督官庁か。
 
(田岡)
| 2014.05.13 Tuesday|コラムcomments(0)|-|

債務整理の広告を見て思う

 数年前から「債務整理」を専門にする弁護士や司法書士が増えました。ときどき,私たちの事務所のポストにもチラシが入っていますし,四国新聞にも広告が出ています。丸亀市民会館でも相談会を開いているようですが,相談者がいらっしゃるのかどうかは分かりません。わざわざ遠くの弁護士,司法書士に依頼するメリットは全くないと思うのですが,そのような相談会に足を運ぶ方がいらっしゃるということは,地元の弁護士,司法書士には相談しづらいと感じられる方がいらっしゃるということでしょう。

 宮古ひまわり基金法律事務所(公設事務所)在任中に受けた債務整理の相談は,1200人余りになります。普通の弁護士が一生のうちに受ける分くらいの件数は経験しましたし,他に債務整理を専門にする弁護士,司法書士がたくさんいるなら,あえていま「債務整理」を専門にしようとは思いません。しかし,法テラス(日本司法支援センター)から配点される法律扶助相談は,いまでも多くは債務整理の相談です。法律相談を受ける中で,ときどき,ずさんな処理がなされていたり,本来主張すべきことを主張しないために誤って敗訴している裁判例を見ると,心配になることがあります。

 おそらく,債務整理専門の事務所で働く弁護士,司法書士には,登録数年以内の新人が多いのでしょう。平成15年以降に相次いで出された最高裁判例に至る流れや,それ以前の債務整理の仕方をご存じない方がいらっしゃるようです。そのために,サラ金の代理人弁護士から最高裁判例を曲解した(としか思えない)主張をされても,適切な反論ができずに敗訴したり,ヤミ金との交渉の仕方を知らなかったりしている例が散見されます。

 最初は単なる知識や経験不足のせいかと思っていましたが,そのうちに弁護士がなぜ債務整理に関わるのか,という基本的な役割認識にかかわる問題ではないかと考えるようになりました。

 私が弁護士になった当時,債務整理に取り組む弁護士は多くありませんでした。弁護士が受任通知を出しても,いまのように取引履歴を開示されたり,過払金が返還されるわけではありませんでしたし,あこぎな業者から口汚くののしられることもありました。私たちは市役所の消費生活相談員などと協力しながら,一人一人のご相談者に「死ぬことはない」と励ましながら,来る日も来る日も債権者と交渉しましたが,電話が鳴り止まず,新規相談は3か月待ちという異常事態でした。そうした中で,自ら命を絶たれる依頼者も1人や2人ではなく,そのたびに「自分に何ができるか」と自問自答しながら,必死の思いで債務整理に取り組んできました。もちろん私一人でなく,全国各地の弁護士の努力により最高裁判例や貸金業法が改正されて,今日があるわけです。

 報道によると,いったん引き下げた制限利率を再び引き上げようとする動きが活発化しているようです。債務整理を専門とする弁護士,司法書士が「業務」としてこれらの事件を取り扱い,そこから収益を上げながら,いまこうした動きに目をつぶるならば,何のために弁護士が債務整理に関わるのかが問われざるを得ないのではないでしょうか。

(田岡)
| 2014.04.30 Wednesday|コラムcomments(0)|-|

次期 日弁連副会長・理事における女性割合について

 3月14日に行われた,日本弁護士連合会(日弁連)代議員会にて,2014年度の日弁連副会長,日弁連理事が決まりました。日弁連のいわゆる執行部は,会長と副会長で構成され(内閣のようなもの?),理事会が最高意思決定機関です(国会みたいな感じ?)。理事会の構成員が理事ということになります。

 代議員会の結果,次期(2014年度)日弁連理事(常務理事含む)では71名中8名(11.3%)が女性となり,女性割合が初めて10%を越えました。副会長では13名中3名(21.4%)が女性となりました。ちなみに,日弁連会員全体に占める女性割合は,18.1%(35102名中6354名 3月13日現在)です。

 1950年の日弁連誕生以来,何と20世紀中はひとりの女性副会長も誕生しませんでした。日弁連副会長は毎年10人以上いるのにです(余談ですが,昨年,海外のロースクール生に対する講演のなかでこの話をしたところ,大変驚かれました)。その後2003年に1名,2005年に1名,それぞれ女性副会長が就任しましたが,その後またしばらく女性副会長は誕生しませんでした。そんななか,2012年,2013年と2年続けてそれぞれ2名の女性副会長が誕生し,このたび2014年,さらに1名増え,史上最多,3名の女性副会長が誕生するに至ったのです。

 もちろん,60年以上ある日弁連の歴史のなか,未だひとりの女性会長すら誕生していないわけですし,理事にあっても日弁連会員に占める女性割合(18.1%)からはほど遠く,未だ道半ばではあるのですが,理事・副会長ともに日弁連史上最多の女性数ということであり,とてもうれしいニュースでした。

(佐藤)

 
| 2014.03.15 Saturday|コラムcomments(0)|-|

責任能力とは何か

 責任能力とは,何でしょうか。裁判員裁判になり,弁護人が裁判員に説明する機会が増えましたが,これを定義するのは意外に大変なことです。

 刑法の教科書には,責任非難の前提として要求される資格であり,有責に行為する能力である,などと説明されています。要するに,受刑能力ではなく,行為能力である,ということですね。しかし,これは責任能力の体系的な位置付けは説明していますが,その実質を定義するのものではありません。
 
 多くの教科書では,更に「行為の是非善悪を弁別し,行動を制御する能力である」とも書かれています。前者は,弁別能力とか弁識能力と呼ばれるものであり,後者は行動制御能力とか,統御能力と呼ばれるものです。要するに,心理学的要素のことですね。

 しかし,ここで,素朴な疑問が生じます。責任能力=心理学的要素(弁識能力+制御能力)とするなら,生物学的要素(精神の障害)は何なのか。それは,責任能力の要素ではなかったのか,というものです。

 学説では,精神の障害がなくても,弁識能力+制御能力がなければ(違法性の意識の可能性ないし期待可能性がないため)無罪になる,という見解が有力に主張されています。要するに,刑法39条は確認規定である,ということですね。この見解によると,精神の障害が要求されているのは,弁識能力+制御能力を直接判断することが難しいからであり,責任能力の実質は弁識能力+制御能力(のみ)である,ということになります。

 しかし,実務では,このような考え方は採られていません。例えば,オウム真理教事件や尼崎事件では,期待可能性の理論は実体法上の根拠を欠くから極限的な場合にしか適用されない,と判示しています。要するに,創設的な不処罰規定である,ということですね。この見解によると,仮に弁識能力+制御能力を欠く場合でも,精神の障害がなければ無罪にならない,ということになります。言い換えれば,弁識能力と違法性の意識の可能性,制御能力と期待可能性はイコールではない,ということです。

 また,責任能力=弁識能力+制御能力という説明には,もう一つの疑問があります。それは,刑法40条,41条との関係です。多くの教科書では,刑法40条(いんあ者,削除),刑法41条(刑事未成年)も,刑法39条と同様に,責任無能力の場合を定めた規定である,と説明されています。しかし,刑法41条は,少年の可塑性に配慮して刑事責任を問わないことにした規定です。要するに,政策的な不処罰規定というわけです。

 これに対し,一般的には刑法39条は弁識能力+制御能力を欠くから無罪になるのであり,政策的に不処罰にした規定ではない,と理解されています。しかし,刑法39条から41条までは全て「罰しない」と規定されており,刑法39条のみが政策的な不処罰規定でない,と理解する必然性はないように思われます。養老律令の時代から高齢者や精神病者を不処罰とする規定があったことを考えると,精神病者であることを理由に政策的に不処罰にしたのだという説明も成り立ち得るように思われます。このような考え方は,前記の創設的な不処罰規定であるという見解と親和的です。

 そう考えると,責任能力とは何かを説明するには,責任能力が要求される根拠,すなわち,なぜ精神障害のために弁識能力+制御能力を欠くと無罪になるのか,の説明が不可欠であることが分かります。これは,正当防衛などの場合も同じで,学説上,なぜ正当防衛であれば無罪になるのかについては,法確証の利益説,優越的利益説,違法性欠缺説などの対立があるとされていますが,裁判員に対しては,いずれかの立場から説明する必要がある,ということになります。

 しかし,学説上も見解が対立しているのに,裁判官がその中のいずれかの見解に立って,裁判員に説明をしなければならない,というのは大変なことです。私は公判前整理手続の中で責任能力の説明案について提案をすることがありますが,仮に公判前整理手続において合意できても,陪審制と異なり裁判官が評議室の中に入る裁判員裁判では,評議室の中ではそれと異なった説明や言い換えがなされる可能性を否定できません。

 いかに法解釈が裁判官の専権とはいえ,評議室のなかでどのような説明がなされるかをチェックできない,というのは大きな問題です。法解釈が説明案により一義的に明確になるのであればよいですが,実際には,それだけでは裁判員には理解しづらいことが少なくなく,裁判官が評議室の中で例を挙げたり,言い換えて説明していることがほとんどだと思われるからです。そう考えると,弁護人が冒頭陳述や最終弁論の機会に,裁判員に直接説明することがいかに重要かが分かります。裁判員が正しい判断をするためには,弁護人がその概念を正しく理解した上で,裁判官及び裁判員に正しい説明をすることが不可欠なのです。

 ちなみに,私は「責任能力とは」という説明はせずに,刑法39条を引用した上で「心神喪失とは,心神耗弱とは」というように,条文から説明をするように心がけています。

(田岡)
| 2014.03.03 Monday|コラムcomments(0)|-|

2年越しの損害賠償命令事件

  東京地裁で審理されていた2年越しの損害賠償命令事件がようやく結審しました。損害賠償命令事件というのは,刑事事件の判決が言い渡されたのち,犯罪被害者又はその遺族の申し立てにより,刑事事件の審理を担当した裁判所が,被告人に対し,損害賠償命令を言い渡す手続きのことです。刑事事件の記録を取り調べることにより,原則として4回までの審理で結論を出す,簡易迅速な手続きである,とされています。

 それなのに,なぜ2年もかかってしまったのでしょうか。その原因は,相続欠格にあります。民法は,相続人が被相続人を死亡するに至らせた場合など一定の事由がある場合には,相続権を失うと定めています。例えば,配偶者や子を死亡させたために有罪判決が下された場合には,配偶者や子の遺産を相続することはできない,ということです。これを,相続欠格といいます。

 ところが,相続欠格が効力を生じるには,有罪判決を言い渡されただけではダメで,確定する必要があるとされています。一審で有罪判決が言い渡されても,もしかしたら控訴審や上告審で破棄されて,無罪になるかもしれないからです。そのため,被告人が有罪を認めている場合であっても,判決が確定しない限り,相続権を失わないとされています。その結果,被害者の遺族が損害賠償命令を申し立てても,被告人に相続権があり,被害者の遺族には相続権がないため損害賠償命令が認められないのです。

 裁判所も,さすがに正義に反すると考えたのでしょう(私もそう思います。)。判決が確定するまで,損害賠償命令事件の審理を進めないという判断をしました。その結果,判決が確定するまでの2年間,この事件はペンディングになっていたのです。その間に裁判長と右陪席裁判官は交代し,私は第二東京弁護士会から香川県弁護士会に登録替えになりました。かろうじて,左陪席裁判官が異動間際で残っており,私が東京に出張する機会がありましたので,本日,なんとか結審することができました。

 無罪の可能性がある以上,有罪判決が確定するまでは相続欠格の効力が生じないとすることはやむを得ないのでしょうが,2年間も審理を行わずにペンディングにしておくというのは,制度が想定していない事態というほかありません。もちろん,被告人が希望すれば相続放棄の申述を行うことは可能ですが,相続放棄の申述期間は相続開始を知ったときから3か月以内であり,家庭裁判所に申述書や戸籍謄本などの書類を提出しなければなりません。身体拘束されている被告人がその手続きを行うことは,現実にはまれでしょう。犯罪被害者とその遺族には,その権利を行使するにも様々な障害があることを考えさせられました。

(田岡)
| 2014.02.26 Wednesday|コラムcomments(0)|-|

日弁連会長選挙結果に思う

 2年に1度の日弁連会長選挙が終わった。
 おおかたの予想どおり,結果は村越候補の圧勝であったが,驚いたのはその投票率の低さである。

 投票率46.64%は,過去最低である。
 投票総数でも,前々回,前回より少ない(再投票を除く)。
 つまり,この間に弁護士数は急増しているのに,投票に行く弁護士は減っている,ということだ。
 
 いやしくも法曹でありながら,選挙に行かないとは一体どういう見識か。
 弁護士資格を持つ政治家は数多いが,彼ら/彼女らは必ず日弁連会長選挙にも投票に行くと聞く。
 それだけ一票の重みを知っているということだろう。
 投票に行かない弁護士は,日弁連に文句を言う資格はないと思う。

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/updates/data/2014/140207_senkyo_shukei.pdf

(田岡)
| 2014.02.07 Friday|コラムcomments(0)|-|

なぜ,検察庁は人の名前を呼び捨てにするのか

 いつも疑問に思うのだが,どうして検察庁は,人の名前を呼び捨てにするのだろうか。例えば,私が弁護している依頼者の処分見込みを確認するとき。検察庁に電話をかけて「○○さんの件ですが,××検事はいらっしゃいますか。」と尋ねると,検察事務官は決まって「あー,○○の件ですね。検事に替わります」という。電話口に出た検事にも「○○は,公判請求予定です」などと呼び捨てにされる。なんだか,とても嫌な感じである。

 もちろん,これは検察庁だけの問題ではない。裁判所にも,ときどき当事者を呼び捨てにする書記官や裁判官はいるし,法律事務所でさえ,依頼者を呼び捨てにする弁護士はいる。私も,呼び捨てにするからと言って,人を記号として扱っているとか,人権意識が低いとまでは思わない。しかし,このような振る舞いを見て,私のように不快感を感じる人も少なくないものと思う。少なくとも私は,自分がいないところで「田岡が,また訴訟を起こしたらしいですよ」「いやー,田岡には本当にまいりましたね」などと呼び捨てにされたら,いい気分はしない。人が嫌がることをしないのは,基本的なマナーであると思う。
 
(田岡)
| 2014.02.07 Friday|コラムcomments(0)|-|

なぜ,被告人は裁判官に向かって謝るのか

 論告・弁論が終わると,被告人の最終陳述である。何を言ってもかまわないが,実際には「本当に申し訳ありませんでした」「もう二度と,こんなことは致しません」と謝罪と反省の言葉を述べることが多い。やっぱり,裁判官の心証を悪くしたくないからね。そして,裁判官は,判決を言い渡した後に「最後に,裁判官から一言。もう二度と犯罪を犯さず,立ち直ることを期待します。」みたいなことを言うことになっている。いわゆる説諭である。
 
 しかし,考えてみてもらいたい。なぜ,被告人は,裁判官に向かって謝り,そして裁判官は何の権限があって「説諭」なるものをするのだろうか。謝罪するのなら,被害者に対して謝罪するべきではないか。

 裁判官は,公務員である。確かに法律の専門家かもしれないが,道徳の専門家ではないし,人の道を説く修行をしているわけでも,功徳を積んでいるわけでもない。立ち直りを「期待」するのは勝手だが,それは福祉事務所の職員が「早く生活保護から抜け出せることを期待します」と言ったり,税務署職員が「来年は,もっと税金を納められることを期待します」と言うようなものであろう。

 結局,被告人は,裁判官の心証を悪くして,刑を重くされるのが嫌だから頭を下げているに過ぎない。頭を下げる相手は,裁判官その人ではない。裁判官という職業に対して,頭を下げているのだ。もちろん,そんなことは百も承知の上で,本心から立ち直ってもらいたいと思って,説諭をする裁判官もいるだろう。そして,それにより立ち直る被告人もいるかもしれない。そういう意味では,私も説諭が無意味だとは思わない。

 しかし,このような法廷を見た被告人,あるいは傍聴人はどう思うだろうか。そうか,裁判官に対して謝れば,もしかしたら刑が軽くなるかもしれない,と思うのではないか。そして,「説諭」はこのような印象を補強するものになってはいないか。ときどき説諭を聞いていると,「本来は打首獄門のところ,忠義に免じて名誉の切腹」と言われているかのような錯覚にとらわれることがある。

(田岡)
| 2014.01.12 Sunday|コラムcomments(0)|-|

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