香川県丸亀市の弁護士・田岡直博と佐藤倫子の法律事務所です。

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香川県丸亀市の弁護士ブログ
お城の見える窓から

なぜ検察官は証人に供述調書を丸暗記させるのか

 朝日新聞朝刊で,「証人テスト」の問題が取り上げられていました。

 一般の方には聞き慣れない言葉かもしれませんが,「証人テスト」とは証人尋問に先立ち,証人と打合せをすることをいいます。法廷で,いきなり尋問をすると予想外の答えが出るといけないので,あらかじめ打合せをしておこおう,というわけです。

 もちろん,証人テスト自体は違法ではありません。刑事訴訟規則191条の3は,証人と打合せをすることをむしろ奨励しています。しかし,現実には,この機会に,供述調書どおりの証言をするように誘導されることが少なくないのです。そして,証人テストは,取調べと同じく密室で行われているため,そこで何が行われているかが分からないところに問題があります。

 つい先日も,私が担当している刑事事件で,こんなことがありました。

 ある証人が,検察官から「あなたが○○を買ったのはいつなの?」と聞かれて,証人が間違って,○○を買った日付でなく,警察に捕まった日付を答えてしまったのです。ところが,証人は「○月○日です」と答えて平然としています。間違っていることに気がつきません。「丸暗記してきたのに,答える場面を間違えてしまったんだな」と思って,裁判官の方を見上げると,裁判官も苦笑いをしています。

 常識的に考えて,半年以上も前のことなど覚えているはずがありません。もちろん,記憶に残る特別な出来事であれば別です。しかし,○○は「牛乳」や「ビール」と同じくらいにありふれたものなのです(伏せ字にしているため,分かりづらくてすみません)。しかも,警察に捕まったときには,証人は「1週間くらい前の○曜日から○曜日の間」と言っていたのです。それが,半年以上も経って,「○月○日です」と断定できるのは不自然としか言いようがありません。つまり,証人は,記憶に基づいて証言しているのではなく,事前のリハーサルで検察官に教えられたとおりに証言しようとしているに過ぎないのです。

 この事件では,○○を買った日付がそれほど重要な問題ではなかったために,私もあえて問題にはしませんでした。しかし,もしこれが有罪無罪を決めるようなもっと重要な事実であったならばどうでしょうか。また,この事件では,たまたま無能な検察官であったために,供述調書どおりに証言させようとしてボロを出しました。しかし,有能な検察官であれば,記憶があいまいであるはずの部分は曖昧に証言させようとするでしょう。そうなれば,裁判官,そして裁判員が誘導を見抜くことは難しいでしょう。

 このように「証人テスト」により誘導どころか,供述調書を丸暗記させられていると感じることは日常茶飯事です。多くの弁護士,そして少なくない裁判官は,そのために本来は真実を発見する場であるはずの公判が,事前に丸暗記したことを答えさせるだけの「答え合わせ」の場になっていることを体験していることでしょう。

(田岡)
| 2014.01.06 Monday|コラムcomments(0)|-|

なぜ公訴事実に対する意見陳述を「罪状認否」というのか

 常々疑問に思っていることだが、刑事訴訟法には「罪状認否」という言葉はない。にもかかわらず、刑事裁判の現場では当たり前のように「罪状認否」という言葉が使われ、起訴状朗読の後、黙秘権を告知した上で、裁判長が被告人に対し公訴事実につき間違っているところはないかを尋ねる、ということが行われている。もし被告人が間違っていると答えれば、どこがどう間違っているか、と更に細かく尋ねられることになる。

 しかし、刑事訴訟法293条3項は「被告人及び弁護人に対し、被告事件について陳述する機会を与えなければならない」と規定しているのであって、公訴事実に対し逐一認否する義務などない。この手続きには、被告人が有罪である旨の陳述したときに簡易公判手続に移行できるという意味しかなく(同法291条の2)、仮に公訴事実の全部または一部を認めても、検察官の立証責任が軽減されることはない。これを「罪状認否」と呼ぶのは、手続きの性格を変容させるものである。

 確かに、刑事訴訟法311条2項によれば、裁判長は何時でも必要とする事項につき被告人に供述を求めることができるから、被告人質問として、公訴事実の認否を求めることは可能かもしれない。しかし、検察官の冒頭陳述さえ行われていない、この段階で、被告人質問をする必要性はないであろう。

 裁判所は、争点を明確にするために、被告人に供述を求める必要があるというが、弁護人が付いているのであるから、弁護人に対し、意見陳述の機会を与えれば足りる。また、検察官の冒頭陳述が行われた後、しかるべき時期に(公判前整理手続に付された事件では、その直後ということになる。)弁護人に冒頭陳述を行わせることもできる。被告人に確認する必要があるのは、有罪の陳述をするか否かだけである(もちろん、被告人が自ら意見陳述を希望する場合には、それを制限する必要まではないであろう。)。

 現在、法制審議会では、「被告人の証人化」すなわち被告人が証言を希望した場合には、証言義務を認める代わりに偽証罪の制裁を科すことが検討されているが(自由と正義2013年10月号の高野隆論文及び五十嵐二葉論文は必読である。)、もしこのような制度が導入されることになれば、なおさら、現在の運用は改められるべきであろう。

(田岡)
| 2013.10.30 Wednesday|コラムcomments(0)|-|

なぜ被告人は本籍や住所を明らかにしなくてはならないのか

 刑事裁判を傍聴された方ならご存じと思うが、裁判が始まると最初に行われるのが人定質問である。おもむろに裁判長が「被告人は、証言台のところに来なさい」と言って、裁判長の前に呼びつけられたかと思うと、ぶしつけに「名前は」「生年月日は」「本籍は」「住所は」と矢継ぎ早に尋ねられる。答えられないと(とくに本籍を答えられない被告人は、少なくない。)「起訴状にはこう書いてあるんだが、間違いないか」などと聞かれ、「そう書いてあるなら、そうだと思います」などというやりとりがなされる。傍聴人は「分かってるなら、聞くなよな」と思いながら、黙ってそれを聞いている。

 これは、いったい何のための手続きなのか。刑事訴訟規則196条によれば、裁判長は、起訴状朗読に先立ち、「人違いでないことを確かめるに足りる事項」を問わなければならない、とされている。つまり、人違いでないことを確認する手続きなのだ。

 しかし、考えてみてもらいたい。人違いかどうかを確認したいなら、身分証明書の提示を求めるのが常識ではないか。健康保険証や住民票では心配だが、運転免許証やパスポートなど写真が入っているものであれば確実だ。名前や住所を聞いて答えられたからと言って、本人であるという保障はない。本当に「なりすまし」を装うなら、名前や住所くらい覚えてくるからだ。よく模擬裁判で、被告人役が生年月日、本籍、住所をすらすら答えているではないか。

 もちろん、裁判官だってそれくらい分からないはずがない。彼らには彼らの言い分があるのだ。たしかに、刑事訴訟規則196条には、本籍、住所を聞かなければならないとは書かれていない。しかし、刑事裁判は、起訴状一本主義である。裁判官は、起訴状以外は見てはいけない。だから、起訴状に基づいて、人違いかどうかを確認するしかない。起訴状に書かれているのは、名前、生年月日、本籍、住所、職業だ。だから、これを聞くしかないのだ。これが彼らの言い分だ。おそらく運転免許証を見ることは「予断」になる、と大まじめに思っているのだろう。

 しかし、困るのは被告人やその家族だ。なにしろ、公開の法廷である。傍聴席には、誰がいるか分からない。被害者はもちろん、暴力団の事件であれば組の人間がいるかもしれない。ときには、敵対的な組の人間がいる可能性もある。傍聴マニアもいるだろう。彼らが、おもしろがってブログやツイッターにアップしないとも限らない。本籍や住所、勤務先が知られたら、そこに住んでいる家族に迷惑がかかる。被害者は、特定事項の秘匿決定なる制度があるが、被告人にはない。

 そこで、どうするか。実際には住所があるのに住所不定にしたり、仕事があるのに無職と言い張るのである。刑事裁判を傍聴していて、人定質問では、住所は「ありません」、仕事は「無職です」と答えていたのに、被告人質問では、家族がいて帰りを待っているという話がなされ、「あれ、住所不定・無職じゃなかったの?」という疑問をもたれた方がいるかもしれない。それには、こういう深い事情があるのである。また、なかには、本籍や住所を小声で言ったり、早口で言って聞き取れないようにしようと悪あがきをする被告人もいる。ところが、そんなときに限って裁判長から大声で聞き返されて、被告人の努力が台無しになってしまうのだ。

 何とも、むなしいばかりである。そもそも、こんな本質的でないところで被告人を悩ませる必要があるのか。証人尋問の際には「このカードに書いたとおりですね」「はい」と確認するのだから、被告人質問でも、同じようにすればいいではないか。刑事訴訟規則115条と、同196条の表現は、ほとんど同一である。それなら、なにも公開の法廷で、本籍や住所まで言わせて、さらし者にする必要はない。実際、裁判員裁判では「公判前整理手続で確認したとおりですね」などと配慮してくれる裁判官もいる。裁判所は、いいかげん,このような不合理な実務慣行のために、住所不定・無職の被告人を量産していることに気づくべきだろう。

(田岡)

| 2013.10.23 Wednesday|コラムcomments(1)|-|

被疑者国選弁護制度の公費負担と身体拘束のあり方

 法制審議会−−新時代の刑事司法制度特別部会の議論が,大詰めを迎えています。もともと検察不祥事から始まった議論であったはずが,肝心の「取調べ可視化」は例外事由を認める案と検察官の裁量にゆだねる案の2案しか示されず,完全に骨抜きにされようとしている一方で,通信傍受(盗聴)の範囲の拡大や刑事免責制度(いわゆる司法取引)など,検察官に新たな武器を与える方向には積極的であり,検察庁の「焼け太り」と言われているところです。

 ただ,今回,考えてみたいのは,被疑者国選弁護制度の拡大と公費負担の問題です。もともとわが国には被疑者段階の国選弁護制度はなく,弁護士会の当番弁護士制度によって対応してきましたが,司法制度改革の流れのなかで被疑者国公選制度の導入の機運が高まり,2006年に法テラスの設立にともない被疑者国選弁護制度が導入され,公費負担の道が開かれました。2009年に対象範囲が拡大され(いわゆる第2段階実施),現在それを勾留全事件に拡大する方向で議論が進められています(いわゆる第3段階実施)。

 ところが,これに対し,法制審議会ではいわゆる「公費負担の合理性」が問題とされています。公費負担の合理性と言えば聞こえはいいですが,要するに,軽微な罪を犯して勾留されているやつには,税金を使って弁護人をつけてやる必要はない,ということです。更に,法制審議会では,弁護人が増えると接見室が込み合うので,警察署の接見室も増設する必要がある,などという議論がなされています。

 接見室が込み合っているのは事実ですから,増設が必要であれば増設するのは当然のことです。しかし,本当に軽微な事件なのであれば,そもそも10日間,延長されれば20日間も勾留する必要があるかどうかの方を真剣に議論すべきではないでしょうか。今回の法制審議会の議論は,取り調べに依存した検察官の体質をあらためる必要がある,という問題意識から始まったはずです。通信傍受や刑事免責制度の導入が検討されているのも,そのためであったはずです。

 そうであれば,当初の問題意識に立ち返って,どうすれば身体拘束(逮捕勾留)の件数を減らせるか,という方向で議論すべきではないでしょうか。単純にいまの身体拘束件数を前提にして,「全員に弁護人を付けるとカネがかかるから,弁護人がつかない人がいても仕方がない」というのではなく,「身体拘束すれば,全件弁護人をつけないといけない。(だから)身体拘束は本当に必要な事件に絞ろう」というのが議論の筋であるべきです。

 この点,弁護士委員から「住居制限命令」の制度が提案されていますが,実効性が疑問視されているようです。しかし,本当に身体拘束をしないことによって,逃亡や罪証隠滅された事件がどの程度あるのか,そしてそれを防ぐために身体拘束(逮捕勾留)以外に方法がないのか,もっと実証的な検証をしていただきたいものです。起訴前に勾留された事件でも,起訴後には保釈が認められることが少なくないわけですが,そのうち,どれだけの割合で,逃亡や罪証隠滅がなされているというのでしょうか。

 保釈には保証金があるといわれるのかもしれませんが,いまや保釈保証協会や弁護士協同組合の保証書事業により有名無実化しています。また,外国人の退去強制手続では,保証金なしあるいは10万円程度でも仮放免が認められる例が少なくないわけですが,それでも実際に逃亡したという話は聞いたことがありません。要するに,「逃亡・罪証隠滅する人はするし,しない人はしない」のであり,現在の運用は,逮捕・罪証隠滅のリスクを回避するため,身体拘束を安易に認めすぎているとしか思えません。これは「身柄不拘束特区」でも作って検証すれば,すぐに明らかになることでしょう。

 スイスでは,処遇決定に当たって,リスクアセスメント=再犯のおそれを客観的に数値化するツールが使われているそうです。こうしたツールの妥当性については賛否両論があり得るでしょうが,現在の「おそれ」という感覚的=非実証的判断よりはよっぽどまし,と思われます。どのようなファクターがあれば,どの程度のリスクがあるのか,現実のデータを分析して客観的な評価基準を作り,それに基づいて運用するようにすれば,一方では機械的・硬直的な運用になるデメリットがあるとしても,他方では確実に不必要な身体拘束は減ると思われますし,裁判官にとって判断のよりどころになり得るでしょう(基準に従っている限り責任を問われなくて済むからです)。

法制審議会ーー新時代の刑事司法制度特別部会
http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi03500012.html

(田岡)
| 2013.09.25 Wednesday|コラムcomments(0)|-|

尼崎連続変死事件について

 9月25日から神戸地裁で公判審理が始まる尼崎連続変死事件について、電話取材を受けました。私はこの事件に直接・間接に関与する立場にありませんので、報道からうかがい知るのみですが、公判前整理手続における鑑定の結果、犯行当時、被告人には「精神の障害」はなかったが、「弁識能力及び制御能力」は失われていたという興味深い鑑定結果になったようです。これを踏まえて、弁護人は、責任能力及び期待可能性の二段構えの主張をすると見られています。

 私が知る限り、わが国の判例上、「精神の障害」(生物学的要素)なく、弁識能力及び制御能力(心理学的要素)を欠くと判断された裁判例はこれまでなく、このような場合の規律(すなわち、責任能力の問題なのか、期待可能性の問題なのか)が正面から問題になるのは初めてではないかと思います。

 学説上は、責任能力の本質は心理学的要素にあるから「精神の障害」要件は理論的には不要である(刑法39条は確認規定に過ぎない)という説と、「精神の障害」要件には独自の意義がある(刑法39条は政策的な不処罰規定である)という説があるとされ、前説によれば精神の障害によらずに心理学的要素を欠く場合には期待可能性を欠き無罪になるが、後説によれば、必ずしもそうなるとは限らない、という帰結になると思われます。

 裁判例としては、オウム真理教事件で、マインドコントロールを理由として責任能力及び期待可能性を争った例(東京高裁は、完全責任能力及び期待可能性を認めて控訴を棄却しました。)、北九州監禁殺人事件で、ドメスティック・バイオレンス(DV)を理由として責任能力及び期待可能性を争った例がありますが(福岡高裁は、完全責任能力及び期待可能性を認めたものの無期懲役としました。)、いずれも無罪主張は排斥されています。

 今回の事件が、これらの判例と異なるのは、鑑定人が「弁識能力及び制御能力が失われていた」と明言するとみられていることでしょう。平成20年決定は、鑑定人の意見を十分に尊重せよと命じていますから、弁護人は、これに依拠して心神喪失ないし期待可能性の欠如による無罪主張をすると思われます。

 しかし、平成20年決定の射程は、生物学的要素及びこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度に関する判断にとどまり、弁識能力及び制御能力、さらには心神喪失といった責任能力判断自体には及ばないと解されていますので(昭和58年決定、昭和59年決定、平成21年決定参照)、必ずしも、鑑定人の能力・公正さ、鑑定の前提条件(平成20年決定参照)に問題がないからと言って、心神喪失あるいは期待可能性なし、とはならないでしょう。これが、今回の事件の難しいところであり、また弁護人の腕が問われるところかと思われます。

 私見では、犯行当時、精神の障害がなかったというのであれば、理論的には、責任能力の問題というよりは、期待可能性の問題と理解する方が素直だと思いますが、期待可能性の理論は、実定法上の根拠を欠き、判例上その適用可能性が極めて限定されていることから、裁判員に対し、どのように説明するのかが難しいです。また、鑑定人が心神喪失を示唆しているのに、あえて期待可能性に位置づけるというのも、分かりづらいです。そう考えると、私が弁護人であれば、やはり同じように心神喪失の主張を置きつつ、二段構えで期待可能性の主張をするかなと思います。犯行を思いとどまることができなかった場合(すなわち、他行為可能性がない場合)にはいずれにせよ無罪になるはずですから、あまり細かな理論にこだわる必要はないでしょう。

(田岡)
| 2013.09.23 Monday|コラムcomments(0)|-|

「分かりやすい審理」とは?

 裁判員法は、裁判官、検察官および弁護人は、裁判員が理解できるように、審理を「分かりやすい」ものにしなければならないと定めています(同51条)。どんなに正しい主張でも、それが事実認定者である裁判官・裁判員に理解されなければ意味がないわけですから、主張を分かりやすいものにする工夫が必要であることに異存はありません。しかし、「分かりやすさ」と「正しさ」はしばしば両立させることが難しく、ときに相反することもあります。

 たとえば、精神鑑定を例に取れば、統合失調症や大うつ病エピソードといった精神障害は、それぞれ国際的な診断基準に定められているわけですが、それをそのままプレゼンあるいは証人尋問で用いたのでは、裁判員に理解されません。そこで、たとえば妄想を「あり得ないことを確信しており、訂正できないこと」などと言い換えるわけですが、言い換えには必ず嘘が潜んでおり、不正確になることは否めません。

 もちろん、よく準備され、洗練されたプレゼンは、素人にも分かりやすいものであり、必ずしも「正しい」ものが「分かりづらい」とは限らないこともまた事実です(私が見る限り、準備にかける時間と熱意が、プレゼンの優劣を決定するように見受けられます。)。つまり。そこで目指されている「正しさ」が、必ずしも専門的には正しいものではないとしても、その本質を捉えているものである限り、分かりやすくすることは十分に可能であるように思われるのです。

 これを弁護士に引きつけていえば、われわれ専門家が、専門家のコミュニティの中で、専門用語でやりとりしていればすむ時代は終わったのであり、依頼者(あるいは、裁判員)に理解されなければ意味がない,と言えないでしょうか。そもそも、裁判員に理解できないような説明しかしない医師は、臨床現場でも患者に理解される説明をできないでしょうし、同様に裁判員に理解できないような弁論しかできない弁護士は、おそらく法律相談の場でも理解できる説明をしていない可能性が高いでしょう。それでは、いくら腕がよくても、依頼者(更には,国民)の信頼を勝ち得ることはできないと思うのです。

 さて、話を戻すと「分かりやすい審理」ですが、私が見る限り、これまでのところ、この問題はもっぱら裁判所の視点から語られており、検察官や弁護人といった当事者の視点が抜け落ちているのが気になります。つまり、裁判所からすれば、裁判員に理解してもらえなければ、評議ができないわけですし、判決が書けないわけですから(更に言えば、アンケートでの評価が落ちるわけですから)、何としてでも裁判員に理解してもらわなければ困るわけです(対して、弁護人は、合理的な疑問を残せば足りるわけですから、裁判員に理解されなければ理解されないでかまわないという考え方もあり得ます。)。そのため、責任能力が争われる事件であれば、事前にカンファレンスを実施し、プレゼン方式で証言させて、説明概念に基づき評議をして、判決を書くという審理になりがちです。一言で言えば、職権的な審理になりがちである、ということです。

 しかし、このような審理であれば、検察官や弁護人は要りません。カンファレンスの中で、裁判官が事前に鑑定内容を把握した上で、法廷でもプレゼン方式で証言させて、裁判所が決めた枠組みで評議するというのですから、弁護人が登場する機会はどこにもありません。もちろん、鑑定人に対し、尋問はできるでしょうが、裁判所からすれば、鑑定人に文句あるいは茶々を入れているだけであり、専門家に言いがかりを付けているようにしか見えないものです。それゆえ、検察官や弁護人にはなるべく余計なことをさせずに、裁判所主導で分かりやすい審理を実現しようという動機が働きます。それがこの職権的な審理が目指されているゆえんであります。

 私は日本司法精神医学界のシンポジウムで、分かりやすくする責任は誰にあるかと問いました。裁判所はもちろん裁判所であるといい、鑑定人は鑑定人であるというでしょうが、しかし本当にそうか。当事者主義訴訟構造をもつわが国の刑事訴訟法のもとでは、検察官と弁護人にあると考えるべきではないか(規則42条は,その主体を検察官及び弁護人と規定しています。)。もちろん、いまの弁護人のレベルでは、かえって分かりづらくなるとの批判は免れないとしても、だから裁判所や鑑定人主導で審理を分かりやすくしよう、というのは本末転倒であり、検察官と弁護人のスキルアップこそ不可欠と考えるべきである。そして、その弁護人のスキルアップのためには、鑑定人になる精神科医の先生方の協力が不可欠である、というのが私の発言の趣旨でした。

 いま同じ問題意識を共有する仲間が、精神科医と共同の勉強会に参加し、研鑽を深めています。彼らこそが、真に分かりやすい審理を実現する担い手となり得ることでしょう。

(田岡)

| 2013.08.30 Friday|コラムcomments(0)|-|

綾歌町はなぜ高松地裁管轄?

 綾歌町は合併により丸亀市になりましたが、裁判所の管轄は高松地裁本庁のままです。そのため同じ丸亀市なのに、裁判を起こすときは、高松地裁丸亀支部ではなく、高松地裁本庁に起こさなければなりません。電車での移動を考えれば、琴電で高松に出る方が近いのでしょうが、いまは車での移動の方が一般的ですから、丸亀支部の管轄に変更してもよいように思います。

 そもそも、地方裁判所の支部は、司法行政上の事務分配の問題に過ぎません。高松地方裁判所のなかに民事1部、民事2部が置かれているのと同じように、丸亀支部、観音寺支部が置かれているだけです。したがって、高松地裁本庁が取り扱うべき事件を丸亀支部が取り扱ったとしても、管轄違いの問題は生じません。移送ではなく、回付といって配点替えが行われるだけです。

 もちろん、管轄の定めがあるのにそれを無視してよいということになれば、原告ないし原告訴訟代理人の弁護士の都合で、恣意的に管轄が選択されることになりかねません。被告の立場からすれば、遠方の裁判所を選択されると不都合が生じることもあるでしょう。しかし、高松と丸亀のどちらに出ても等距離であるというのであれば、たとえば、どちらに訴えを起こしてもよい、というルールにするのが、利用者にとってはもっとも便利なはずです。これを、競合管轄と呼ぶことにします。

 もし競合管轄が認められれば、たとえば、綾歌町の人は高松と丸亀の好きな方を選んで訴えを起こせばよい、ということになります。もし被告に不都合があれば、回付の申し立てをすればよいわけです。どちらにも管轄が認められるのですから、回付の可否は民事訴訟法17条に準じて裁判所が判断すればよいでしょう。このような制度を認めても、さほど不都合があるとは思えません。同じように三豊市の中でも、三野町や詫間町の人は丸亀支部に訴えられた方が便利かもしれません。

 そもそも、管轄の考え方自体が裁判所に出頭することを念頭に置いたものであり、時代に合わなくなってきているのかもしれません。家事事件手続き法の施行により、家事調停でも電話会議の利用が認められるようになりました。さらにテレビ会議が利用できるようになれば、裁判所の出頭しなくても裁判が進められるようになるはずです。訴えの提起や、証明書の申請なども、インターネットで受け付けるようにすればよいでしょう。実際に韓国やロシアでは、そのようなシステムが実用化されていると聞きます。裁判自体も、時代にあわせてアップデートしていく必要があるのではないでしょうか。

(田岡)
| 2013.07.25 Thursday|コラムcomments(0)|-|

災害対策の必要性

 「近い将来,南海地震が起きる」という危機感を持っている方は,どのくらいいらっしゃるでしょうか。地震調査研究推進本部は,南海トラフにおいてマグニチュード8以上の巨大地震が起きる可能性が,今後30年以内に60−70%(50年以内90%程度以上)と予測しています。50年以内に90%ということは,20代の若者が生涯のうちに南海地震に遭遇する可能性が90%ある,ということです。それは50年後かもしれませんが,明日かもしれないのです。

 では,南海地震が起きた場合,どれだけの人的,物的被害があるかはご存じですか。同様に地震調査研究推進本部の想定によると最悪の場合、死者32万3千人,全壊・焼失建物238万2千棟と推定されています。これは,東日本大震災をはるかに上回る規模の被害です。もちろん,香川県も例外ではありません。果たして,その備えはできているでしょうか。

 香川県に引っ越してきて感じるのは,震災に対する危機感の乏しさです。私は東日本大震災のときは弁護士会館にいました。エレベーターや地下鉄が止まり,自宅まで歩いて帰りました。テレビでは,見慣れた宮古や釜石の町並みが津波にのみ込まれるのを見ました。その後,東北に何度も足を運び,被災者からお話をうかがいました。家を流された人,家族を流された人,住み慣れた家を離れて体育館で寝泊まりしている人。そんな話を聴いて,この当たり前の生活がいかにもろく,はかないものであるかを思い知らされました。

 いま,陸前高田ではようやく市街地が更地になりました。しかし,高台移転の手続きは遅々として進んでいません。福島では原発事故の処理にあと何十年かかるか分からず,復興の道筋さえ見えていません。実際に被災した方には及びませんが,もし南海地震が起こったら,いま私たちが暮らしているこの町どうなるかの想像くらいはできます。

 弁護士会の会合で,災害対策の必要性を訴えても,いつ来るか分からない(もしかしたら,来ないかも知れない)のだから,考えても仕方がない,という雰囲気が漂っています。中には,どうせ南海地震が来たら弁護士会館も流されるんだから,と笑い飛ばす人もいます。でも,私は笑えません。

 私が岩手県宮古市に赴任していたとき,岩手日報の1面には「30年以内に99%の確率で三陸沖地震が起きる」という記事が載っていたことを知っているからです。そして,新聞には津波ハザードマップが掲載されていました。国道45号線を通れば,「三陸大津波ここから」「ここまで」という標識が出ていました。それでも,まさか本当に津波が来ることはないだろう,と思い込んでいたのです。
 
 私たちは被災地を知る者として,ここ香川県において災害対策を進める責務があると感じています。とりあえず,その第一歩として弁護士会の災害対策マニュアルを整備しています。今秋の四国弁連大会では,災害時の連携などをテーマにしたシンポジウムが開かれる予定です。一人でも多くの会員に関心を持っていただける機会にしたいです。

(田岡)
| 2013.07.24 Wednesday|コラムcomments(0)|-|

丸亀市の無料法律相談

 丸亀市では,毎週土曜日または金曜日に弁護士による無料法律相談を行っています。また,そのほかに市民相談や生活相談の窓口もあります。多重債務問題や消費者問題,女性や子ども,高齢者の支援には行政と弁護士が連携して,問題の発見や解決に当たることが必要ですから,こうした市民相談窓口があるのはよいことですね。

 ただ,相談日が毎週1回と限られているうえ,相談時間が1人20分と非常に短いのが難点です。多くの自治体で,無料法律相談は行政サービスと位置付けられているため,とりあえず,お話をうかがって見通しを説明する」という程度にとどまる場合が少なくないように思われます。急ぎの場合や,弁護士に依頼することを決めているのであれば,直接弁護士に相談されたほうがよいでしょう。弁護士を知らない場合には,香川県弁護士会丸亀事務室(電話 0877-22-6713)にお電話いただいてもかまいません。

 また,無料相談をご希望であれば,法テラス香川(
電話 050-3383-5570,http://www.houterasu.or.jp/kagawa/guidance/)にお問い合わせください。高松では,月水木金に弁護士相談をおこなっています。丸亀は,第1・第3木曜日と一応決まってはいますが,実際には直接登録事務所にお問い合わせいただければ,随時,無料法律相談を実施しています。1事件につき3回まで無料法律相談を受けることが可能です。利用の仕方については,お気軽にお問合せください。

無料法律相談
http://www.city.marugame.kagawa.jp/itwinfo/i136/

子ども・少年・女性等相談
http://www.city.marugame.kagawa.jp/itwinfo/i11995/

高齢者・権利関係等相談
http://www.city.marugame.kagawa.jp/itwinfo/i11993/

一般・消費者・そのほか相談
http://www.city.marugame.kagawa.jp/itwinfo/i11839/

(田岡)
| 2013.07.22 Monday|コラムcomments(0)|-|

専門の弁護士を探すには

 「ご専門は何ですか」というのは,定番の質問の一つです。でも,いざ答えようとすると,なかなか正確に説明するのが難しい質問でもあります。答え方によっては,イエスとも言えるし,ノーとも言えるからです。

 まず,ご理解いただきたいのは,弁護士には,医師の「専門医」と同じような意味での公的な認定資格はない,ということです(専門医については,http://www.mhlw.go.jp/topics/2007/06/tp0627-1.htmlをご覧ください。)。法律家にも学会はありますが,学会が専門弁護士を認定する動きは,今のところありません。弁護士の集まりである日弁連には,専門認定制度を作ろうという動きがあります。しかし,これに対しては,「何をもって専門というのか」という反対意見があって,なかなか進んでいないようです(http://sakuragaoka-lo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-decc.html)。

 したがって,公式には,「専門分野はない」という答えになります。じゃあ,どの弁護士に頼んでも同じなのかと聞かれれば,そんなことは絶対にありません。

 たとえば,離婚事件。ときどき,「離婚事件など,弁護士であれば誰でもできる」などとうそぶく弁護士がいますが,そのようなことが言えるのは,離婚事件の経験が少ないからでしょう。まじめに離婚事件に取り組んでいる弁護士は,『ケース研究』『家裁月報』などの雑誌を定期購読していますし,関連する学会にも所属しています。養育費の算定表を鵜呑みにして「養育費はいくら」と計算するだけなら,たしかに誰でもできるでしょうが,それでは弁護士が代理人に就く意味がないでしょう。

 ただ,難しいのは,専門の弁護士をどのようにして探せばよいのか,ということです。いわゆる「自称」専門弁護士ほど,当てにならないものはありません。インターネットで検索すると,「自称」離婚専門行政書士がたくさん出てきますが,そもそも行政書士は調停や訴訟で代理人を務めることはできないのですから,これほどいい加減なものもありません(もちろん,離婚専門をうたう弁護士のなかには、本当に専門の弁護士もいらっしゃいます。)。

 結局,現状では,複数の弁護士を比較することくらいしかありません。いまは報酬の見積書を出して説明する弁護士も増えていますから,複数の弁護士に相談すること自体はまったく遠慮する必要はありません。人生の一大事ですから,納得がいくまで説明を受けるようにしてください。その際,弁護士報酬の高い安いといった目先のことにとらわれない方がよいでしょう。報酬が高くても,きちんとした仕事をしてくれる弁護士の方が,結果的に安く付くということもあるからです。

(田岡)
| 2013.06.18 Tuesday|コラムcomments(0)|-|

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